◇板門店ツアー◇2012.08.14
こんにちわ
浜松町第一クリニック横浜院院長の渡邉です。
夏休みをとって「板門店ツアー」に参加してきました。
いまだに戦時下にあるとはどんな状況なのか?南北統一は近い将来ありうるのか?
そして、拉致被害者が無事戻って来るには何が必要なのか?常日頃思っております。
専門分野であるED&AGAから生活習慣病など医師の視点からいろいろな情報を発信していければなと思います。
No.1ミョンドンのロッテホテルから板門店ツアーの専用バスに乗り、高速道路を北上すること約1時間。
北朝鮮から流れてくる臨津江(イムジンガワ)が見えてくる。対岸に北朝鮮の村が見える。
No.2私が立っているのは韓国側の監視所。何の飾りもない殺風景な建物だった。
後方のコンクリートの建物は北側の監視所。青い建物は停戦協議所で国連軍の監視下にある。
ツアー客が停戦協議所を安全に見学する為に国連軍兵士が守ってくれている。
全く不動のままで北の監視所を睨みつけている。
No.3北朝鮮の兵士。望遠でキャッチ。
No.4停戦協議所内の様子。
この建物の丁度中間地点が軍事境界線。この建物の中だけで北側に入ることができる。
「北朝鮮に足を踏み入れる」という摩訶不思議な経験をしてきました。
No.5「帰らざる橋」見学バス内からの撮影。
朝鮮戦争の停戦協議が成立して双方の捕虜が解放された。どちらに行くか、どちらに留まるかは捕虜自身が決めて良かった。
しかし、一度渡ったら二度と後戻りはできない"no return"だった。
実際は北側の捕虜の釈放数は南側のそれよりも絶対的に少数だった。
No.6 1976年8月18日「ポプラ事件」。
北、南、国連軍の共同監視地域だったこの場所に、一本のポプらの木があって、年々葉っぱが成長して監視するのに見晴らしが悪くなっていた。
そこで国連軍兵士(アメリカ兵)が斧で葉っぱを伐採していたところ北側の兵士がいちゃもんをつけてその斧で2人の国連軍兵士を切り殺した。
一挙に緊張が高まり戦争再開戦の一歩手前まで行ったという。今はそのポプラはなくその場所にこのモニュメントが埋設されている。
No.7 「自由の橋」北側に捉えられていた南の兵士がこの橋を渡って帰ってきた。
皆、狂喜乱舞して渡ってきたという。
写真右は現在の一般韓国人が行くことができる最北端地で自由の橋にある壁。
韓国のお盆の時期になると韓国に住む離散家族がここに来て北に在住する親類に思いを馳せる。
ベルリンの壁は壁を撤去すれば東西を行き来できたが、この軍事境界線の周囲には何と約94万個の地雷が埋まっており
仮に南北が統一されても南北を自由に行き来することは絶対的に不可能である。
決まった一本の道路以外は通行できないとのこと。その話を聞いて更に暗澹たる思いになった。